2009/12/25

H22年度年初の活動履歴

(各項の詳細はそれぞれのリンク先を参照)

一月期(12/18-01/14)
12/20(日)「国宝土偶展」見学&日本神話における大地母神について語るオフ(※午後1時、現地)
12/22(火)都内プラネタリウム4ヶ所はしご見学&古代星辰信仰について語るオフ(※11:00現地集合。朝:科博シアター360宇宙137億年の旅→昼:中央区郷土資料館&森美術館「医学と芸術展」→夕:タイムドーム明石→夜:サンシャイン満天。途中合流歓迎)
12/23(祝)
朝~昼:天長節皇居一般参賀
昼~夜:邪馬台国侍先生にお伺いを立てる会
12/24(木)白づくし飛鳥鍋を囲むオフ(※18:00~ 赤羽橋。クリスマスって本当はキリスト教じゃなくてミトラ神の祭儀でゾロアスター教って古代飛鳥の女帝の時代にきてたんだよなとか、現代の皇位継承問題にかかわる飛鳥女帝史ついてあれこれ論じるべく、白づくし飛鳥鍋をおいしくいただく会)
12/27(日)禊祓研究8(※13:00新橋駅烏森口で待ち合わせ。日比谷神社参詣後、台場(幕末砲台施設)見学。その後「脱著12神(衝立船戸神~辺津甲斐弁羅神)についての神学的考察」について議論)
01/02(土)正月一般参賀&新年酒宴(※10:15東京駅丸の内中央口待ち合わせ・11時第2回の部に詣り、その後丸の内あたりで新年会)
01/07(木)北千住神社参詣めぐり(※朝10時・北千住駅集合。七社巡礼後、根津の高級蕎麦屋「鷹匠」にて懇親会。西日暮里にて二次会)
01/09(土)寒中禊in神田明神(※10時・現地)
01/10(日)寒中水浴大会in鐵砲洲稲荷神社(※11時・現地)

◎印は「伝承文化研究所」主催もしくはその関連
◇印は「マズダヤスナの会」もしくは「古伝承研究会」主催
★印は「青狼会」主催もしくはその関係イベント
○印は「横浜開国ラボ」主催
◆印は早稲田大学「國策研究會」主催
△印は既存の一般公開イベントへの参加を部分的に組み込んだ企画

※平成22年度は12月18日からとします。
※これ以前の活動記録は ⇒こちら
※これ以後の活動記録は ⇒こちら

2009/09/14

禊祓研究

「禊祓研究」と題し、神道の「禊」と「祓」のそれぞれについて知性と霊性の両面から究明。古今東西の宗教・哲学との比較から、善悪の問題(正義・倫理・功罪・浄化と穢れ)について思想的な考察を深めつつ、神道学・古典国文学・民俗学・人類学などの面からの研究はもちろん、神秘主義・神道霊学諸派の諸説・実践と体得といった面をもあわせて総合的に追求・研鑚します。

禊祓研究1・07/11/03 「禊祓祝詞・大祓祝詞」を読む会

禊祓研究2・07/11/04 滝行と禊祓(みそぎはらい)を語るオフ

禊祓研究3・08/01/12-13 H20二社寒中禊見学

禊祓研究4・08/06/29 天津罪国津罪からみた神道における正義と悪

禊祓研究5・09/01/10-11 H21二社寒中禊見学

禊祓研究6・09/05/15 古神道行法実習研究

禊祓研究7・09/06/27 日比谷神社参詣と「大祓」講談

禊祓研究8・09/12/27
(※日比谷神社参詣後、台場(幕末砲台施設)見学。その後、「脱著12神(衝立船戸神~辺津甲斐弁羅神)についての神学的考察」について議論。赤羽橋に移動して懇親会)

禊祓研究9・10/01/09-10  H22二社寒中禊

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皇室と日本を考えるBBS

2009/08/26

H21年度後半の活動履歴

(各項の詳細はそれぞれのリンク先を参照)

八月期(08/18-09/13)
08/22(土)アニメ特撮文化史から考察する戦後史の正体[サブカル論1]〜横浜開港150年便乗企画・サブカルでみたモダニズムの読み直しから横浜市長がヤクザに命を狙われている件まで〜
08/23(日)麻布十番納涼まつり△(※15:00〜、各自連絡とりつつ好きな時間に三々五々合流。大混雑を避けるため17:00には移動、ただの飲み会に移行)
08/24(月)『日本の教育が危ない!』緊急國民集会〜あなたは日教組教育を選びますか?〜
08/26(水)サブカルチャーとしての憑依型新宗教から日本的霊性を考察する[サブカル論2]〜アニメ特撮史における文化の切断面から幸福実現党がCIAから金をもらっている件まで〜
08/27(木)赤塚不二夫追悼展△(※銀座松屋。15時半、現地集合。イベント自体は8/26から9/7まで開催中)
08/29(土)
昼・「伊勢神宮と神々の美術」見学会△(※13時、上野駅公園口で集合。無料券10枚あり。イベント自体は9/6まで開催)
夜・池袋駅麻生応援&党首対決ヲチ&飲み会オフ(※19時半)
08/30(日)選挙オフ(開催場所が2ヶ所にわかれております。どっちも夕方より)
 A会場:緊急Teach-in「高級美味枝豆と豪華アワビで開票を眺める夕べ」in赤羽橋(※すでに定員満杯に近づいているのと保守派への辛辣な暴言が出まくる予定なので右寄りの方はB会場がお勧めです。定員に達した場合は参加不可)
 B会場:「インターナショナル進歩政治青年研究会」in西池袋の西形ビル(※左巻きの狂宴。うちの開催実行委員長によればうちのMLに入っている方は行ってもいいみたいです。レベルの高い(?)社会主義者の集まりなので憂さ晴らしに乱入でもして実りある論争を繰り広げて下さい。詳しくは「孤高の相場師」まで)
09/06(日)秋の遠足1「稲荷山古墳見学会」〜左翼学説を斬り伏せた金文字の剣と"田中卓の闇"〜
09/12(土)甲子雅代のイスラム講話○(※16時〜18時「かながわ労働プラザ」石川町駅3分)(※講師病欠により急遽代講「選挙後の日本を占う」に変更されました)

九月期(09/14-09/27)
09/16(水)古事記に親しむ会△(※19:00?20:30、浅草橋区民館。参加申し込み締切期限日は9/14。問い合わせ先&申し込み先03-3866-4387佐久間)
09/17(木)「グリム童話集原画展」観賞(※16:00~、教文館6F。イベント自体は9/30まで開催中)
09/18(金)皇室と日本を考えるリニューアルスタート記念飲み会オクトーバーフェスト秋の収穫祭2009(※17時?22時、日比谷公園噴水広場)
09/19(土)宮中歌会始(お題:光)に向けて和歌を詠む会(※13時、明治神宮で待ち合わせ。ほか詳細はリンク先のmixi)
09/20(日)サンマ祭1・目黒SUNまつり△
09/26(土)チベット・ウイグル・モンゴル三民族連帯集会&デモ△(※当ブログ管理人の参加は遅れて後半のみ参加)
09/27(日)サンマ祭2・東京タワーさんままつり△

十月期(09/28-10/24)
09/28(月)トークライブ 「ああ言えば、こうゆう」
10/04(日)秋の遠足2・仏教カルト研究シリーズ第1弾・江ノ島龍口寺と片瀬諏訪神社を訪ねて〜仏教カルト(偽経法華経と狂僧日蓮)の研究~
10/12(祝)講座「映像で見る近代皇族の暮らし」・展示「近代皇族の記憶」
10/17(土)
秩父・神道国際学会「神道の立場から世界の環境を問う」△(※事前に申し込み必要、10/5締切。参加費は無料)
池尻・日本の誇りセミナー「佐藤一斎 武士を育てた心の学問」△(18:30~@世田谷区池尻地区会館、参加費2000円)
10/18(日)突発温泉オフ(@さやの湯処
10/20(火)※講演「女王卑弥呼の国を探る3−纒向の出現と倭国連合の成立」(10/31開催)への申し込み締切期限日

十一月期(10/25-11/17)
10/25(日)天皇陛下御即位二十年奉祝神奈川県民の集い(さだまさし記念ライブ)△(※無料、ただし要整理券。当会スタッフが整理券を確保してるので同行者は整理券不要ですが、ご自分で整理券を入手する際は神奈川県神社庁TEL:045-761-6387まで。※12時開場13時開始@パシフィコ横浜国立大ホール
10/27(火)中近東・アフリカ諸国大使館出展バザー
10/28(水)《むらさぎ特別講義》神道以前の神道と原初の神秘
10/31(土)(※どちらでも関心のある方にご参加ください)
 大手町・女王卑弥呼の国を探る3−「纒向」の出現と倭国連合の成立△(※事前に申し込み必要、10/20締切)
 品川・天皇・皇后両陛下奉迎△(※朝10時集合・東京海洋大学品川キャンパス正門前)
11/01(日)神保町ブックフェスティバル
11/07(土)素読の会
11/12(木)天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典
11/14(土)ほうれん草ともやしと豚肉の鍋でオフ会(※詳細は直接にお問い合わせ下さい)

十二月期(11/18-12/17)
11/21(土)正三位中川(酒)閣下を偲びボジョレーヌーボーを安値で楽しむ会(※昼12時JR新宿駅西口集合。終了時間不定。途中合流可ですが三ヶ所ほど移動するのでその時の場所は携帯で確認して下さい)
11/22(日)世界史のなかの江戸文明~"日本の自画像"再構築に向けて(第3回日本文明論シンポジウム)△(13:00open13:30-17:00@帝京平成大学沖永記念ホール、コーディネーター:伊藤隆 ※参加費:2000円、要申込→FAX:03-3835-2436、他メールや葉書でも申込可、詳細はリンク先)
11/25(水)知られざる出雲の古代霊性
11/29(日)関曠野講演・ベーシックインカム論△(※事前申し込み必要)
12/05(土)素読の会
12/09(水)天皇陛下御即位20年奉祝式典・岡野弘彦講演「御製に示された伝統の格式」△(※16:10開会 國學院大學院友会館地下大ホール 無料)
12/13(日)「赤穂義士記念館」見学&日本人の正義観について語るオフ(※午後イチめどに三々五々現地集合。その後、品川神社参詣ほか品川の裏の顔を探検)
12/15(火)近平謁見反対緊急街宣行動△(※7:30〜8:30大手町経団連会館前・9:00〜12:30東京駅丸の内北口前日本生命丸の内ビル付近)

☆印は「皇統の未来を守るオフ」主催
◎印は「伝承文化研究所」主催
◇印は「古伝承研究会」「マズダヤスナの会」共催
△印は既存の一般公開イベントへの参加を部分的に組み込んだ企画

※平成21年度は12月17日までとします。
※これ以降の活動記録は ⇒こちら
※これ以前の活動記録は ⇒こちら

2009/08/18

09/06(日)秋の遠足1「稲荷山古墳見学会」〜左翼学説を斬り伏せた金文字の剣と"田中卓の闇"〜9/4更新

【序】悠仁親王誕生と皇位継承問題

30年前の9月、日本の古代史が(というより学界が)激震に見舞われた世紀の大発見がありました。それにより左翼学説の権威が地に墜ち、この時から日本の保守回帰が静かに、しかし力強く始まったのです。みんな忘れてるけど(生まれてなかった人ももう多いだろうし)。あれは天佑であり神風でした。日本の保守系世論の復興なくして、70年代さながらの左翼的空気が国民感情を覆っていたならば、こんにち皇位継承問題における男系保持の世論がここまで力を持つことはありえたでしょうか。
くしくも当日の9月6日は、悠仁親王満3歳の誕生日でもあります。皇位継承問題=いわゆる男系女系論争では、「女系」派の巨頭である田中卓は、かつては稲荷山鉄剣に刻まれた最古の「男系」系図の解釈から記紀の古伝承の事実性を論証した人物でありました。
記紀を歪曲しようとする左翼学説との激闘史を学び、皇国史観=万世一系の正しさを知っている現代のウヨならば、歴史が武器として顕現したかのような奇跡の剣に刻まれた輝く金文字に、深い感動を禁じ得ないことでしょう。

【1】その歴史的背景

70年代までの日本は左翼全盛期だったが、平成時代以降は右傾化(正常化?)して現在に至っているのは周知の通り。(この認識の段階で話が噛み合ない人とは致命的に会話が成り立たない)。この変化はいうまでもなく突然移行したわけではなく、その両時代の間に、80年代の「価値相対」時代があった。80年代といえば、いろいろ否定的な評価をいくらでもいいたい人もいるだろうが、とりあえず絢爛たるサブカル文化の黄金時代であり、その圧倒的な豪奢な光を背負った若者たちが、空疎な説教をふりまき鬱陶しい抑圧を繰り返してきたおっさんたちの貧乏くさい左翼気分を嘲笑し去ったことは事実である。これは全共闘への皮肉として70年安保ならぬ80年安保とも言われた通り、世代間抗争であり復讐であった。80年代の価値相対時代なくして、平成の保守回帰はありえたであろうか。80年代といえば、いろいろ批判・非難をしたい人もいるだろうが、平成の右傾化を用意したのもまた紛れもなく80年代だったのである。
さてその80年代という一つの時代は、実は昭和53(1978)年から始まったというのが、以前からの私の説である。その年には、年表でみると、その時期に十代を過ごした者にとっては、単に懐かしいだけではなくサブカル全盛期の開始にふさわしい彩り豊かで華やかな思い出がならんでいるからだ。

その年はまた、日本古代史にとっても、大きな区切りの年だった。いうまでもなく「稲荷山鉄剣」の金象眼(金象嵌)の115文字の発見である。
それ以前、70年代までの日本の古代史学界は世間の左翼風潮のまま、古事記や日本書紀の古伝承を天皇家が自分らの権力を正当化するため好き勝手に捏造したものであり史料的な価値はないとして、記紀の諸系図に現われる殆どの人間を「伝承上の存在」「実在しない架空の人物」とみなし、天皇架空説・王朝交代説・征服王朝説など、万世一系を否定する妄説を、アカデミズムの権威の下で堂々と唱えてきた。
この115文字が出現のニュースは、毎日新聞が9月19日の夕刊で他社をだしぬいて大スクープをものにしてから、大手新聞社や大マスコミのことごとくが、あるいは一面トップ、あるいは見開き左右両面ぶちぬき、あるいはタイトル三段ぬきで後追いながらも連日の報道。解説やコメントに古代史学者が総動員されたが、何も知らない一般人は、ただ諸説入り乱れてるんだなぁぐらいの認識がせいぜいだったかも知れない。しかし、この発見は、古代史業界にとっては、大東亜戦争の敗戦による断絶よりも大きな、喩えていえば明治維新に匹敵するような大事件だった。ある程度の研究史を知り、学界の空気を知っていれば、名だたる大御所たちの頓珍漢なコメントやあわてふためいて自説崩壊を糊塗する醜態に苦笑せざるを得ないものだったし、左傾学説にうんざりしていた者にしてみれば、今でいう「ワクテカ」、「飯ウマ」状態だったことが忘れられない。
またこの期間、毎日新聞は『雄略天皇の名解読』、『わしは雄略帝の片腕だった』、『オホビコは四道将軍の「大彦命」崇神天皇が派遣』と、当時すでに皇學館教授だった田中卓の説を好意的に紹介した。また翌年、田中卓は一般人向けに『古代天皇の秘密』(太陽企画出版)を著わし、それまで(今でも?)定説とされる左傾的、反天皇的な諸学説を、一つ一つ丁寧に解きほぐしてみせたが、鉄面皮な団塊世代に対しては、今ひとつ手応えがなかったように当時は感じられたかも知れない。
学者たちは、しばらくは何も変わってないような、とりすました顔をしていたが、しかし今思えば、あの時、アカデミズムの権威は完全に失墜したのだと確信をもって断言できる。それまでは、学者様はえらいという思い込みがなんだかんだ言っても支配的であった。だが明らかに学界の空気は一変した。学界では、王朝交代説や征服王朝説は、学界では腫れ物にさわるように否定も肯定もしないで棚上げされるようになり、学者ではないライターの手になるマニア向けの通俗古代史本の中で、煽り文体ばかりが仰々しい古代史の「謎」としてしか読まれなくなった。鉄剣によって、80年代はアカデミズムの権威すらも相対化された時代なのである。

あれから十年、平成になって右傾化の時代とインターネットの時代が同時にきた。電脳空間でも古代史趣味の庶民のヨタ話は相変わらず花盛りであった。今でも2chやmixiでは、昔ながらの左傾史観に毒された古代史謎解きごっこが跡を絶たないが、それは通俗古代史本のライターが団塊世代だったこと、それら駄本がしばらくは(いや、今も)流通していたことで、下の世代も影響を受けたせいである。しかし、かつてと異なるのは、記紀の古伝承に準拠した古代史像を信奉する正しい国民意識をもった若者が、昔では考えられないほど増殖したことである。2chの最盛期、歴史板には学界の通説を左翼的歪曲としてこきおろしつつ完膚無きまでに論破する痛快な「名無し」が続出していた。彼らは名もなき顔の見えない同志だった。妙に学界の内部に通じていた者もいたので、もしかしたら、中には老害教授に抑圧され世を儚む万年講師やペーパードクターもいたのだろう。その頃には少なくともネット上では単なる左翼的反天皇学説ではなく、朝鮮民族史学(俗にいうウリナラ史観)にとってかわられていた。これは反日的な古代史学説(?)の新たなネタ元になり、「非学問的な意味」で、いまだ重大かつ微妙な局面にあり、解決の見通しが立っていないが、事の顛末など詳細は別の機会に譲る。

それからまた十年。平成10年代、皇位継承問題が勃発し、男系護持派と女系容認派の論争が、少なくとも保守派の内部では前者の勝利に落ち着くかとみえた平成18(2006)年2月16日発売の『諸君!』三月号で、久々に一般人の前に現われた田中卓は、女系容認論を展開した。かつての俊英とは殆ど別人のように稚拙なその議論は、明らかに男系派から不満と反発で迎えられ、それに対する再反論は今でもネット上で多く読むことができる。とはいえ、左翼全盛期の嵐の下、伊勢の皇學館で、ひたすら地道に研究を重ね、アンチ左翼・保守系の古代史学者としては最大の大物であるのみならず戦前からの伝統を引く皇國史観の守護者のように思われてきた田中卓の態度表明はそれなりに大きな衝撃を与え、男系論優位の流れに大いに水をさした。鳴りを潜めかけた高森明勅を調子付かせ、いつまでも態度を明確にせずはぐらかし続けていた小林よしのりが後に『天皇論』で女系派宣言をすることになる導火線ともなった。しかし、田中卓の女系容認論は、独自の新しい論点で女系論を一新させたわけでも強化したわけでもない。なにひとつも目新しいことをいっていない。すでに議論し尽くされたことを蒸し返しただけだった。この戦術は女系派に一般的にありがちな傾向で、小林よしのりも(無知を装ってか本当に勉強不足でか)『天皇論』でやっている。もし、田中卓が、老人性痴呆症でないのならば、これは「時間かせぎ」であって、「何か」を待っているのである、と推測するほかない。

【2】金文字が証した記紀の系譜

(この章は当日に口頭で解説・議論)

【3】田中卓の限界と問題点

もっとも当時から私は田中卓を全面的に信奉していたわけではない。(以下かきかけ)
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※このイベントの告知はこちら↓
http://nhlar.blogspot.com/2009/08/80818-0819.html

2009/07/02

平成21年度晩夏の活動履歴

(※各項の詳細はそれぞれのリンク先を参照)

八月期(07/22-08/17)
07/22(水)緊急Teach-in「日食とラーメン」in田町(19:30〜)
07/25(土)26(日)夏の遠足1「開国・開港Y150」見物△(※待ち合わせは適当。携帯で連絡とりあって各自好きな時間に現地合流、土日いずれの参加でも可)
08/01(土)土用丑の日にチェチェン料理を食べる会in芝公園(※この日に予定されていた「夏の遠足2・勝浦海岸オフ」は現地の天候不順により中止、当企画に変更になりました)
08/02(日)「国体と憲法(と憲法典)」研究会(※14:00靖国神社待ち合わせ)
08/08(土)素読の会(18:00-、銀座区民館)
08/15(土)靖国神社参拝オフ
08/16(日)インドネシアフェスタ△(※イベント自体は前日から2日間)

☆印は「皇統の未来を守るオフ」主催
◎印は「伝承文化研究所」主催
◇印は「古伝承研究会」「マズダヤスナの会」共催
△印は既存の一般公開イベントへの参加を部分的に組み込んだ企画

※これ以降の活動記録は ⇒こちら
※これ以前の活動記録は ⇒こちら

2009/06/28

古事記を読む会

http://nhlar.blogspot.com/2008/12/121219.html

2009/06/04

07/18(土)「聖書考古学資料館」見学

このページは
http://nhlar.blogspot.com/2008/08/blog-post_3918.html
からの転載です(以下、改稿中)
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聖書考古学資料館」の見学にいきます
http://www.tmba-museum.jp/

■待ち合わせ■
07/18(土)PM2:30からPM3:00までの間に
マクドナルド駿河台支店(JR御茶ノ水駅から明治大学方向です。地下鉄新御茶ノ水駅に通じるサンクレール支店ではないので注意)で待ち合わせ。
同じビルの2Fが聖書考古学資料館で1Fがマクドナルドです。

下記↓の掲示板を活用することも可能です。
「途中合流連絡用掲示板(携帯兼用)」
http://ip.tosp.co.jp/DG/TosDG100.asp?I=i9dai&P=0

2009/05/27

半田稲荷神社神代文字和歌碑文解読

「半田稲荷」でgoogle検索すれば、江戸時代の享保から文化の頃、疱瘡や麻疹の病気封じと安産で大いに繁栄した神社であり、今よりかなり境内も広かったようです。「願人坊主(フリーの坊さんでいかがわしいとされていた連中)が真っ赤な服装で「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授・安産御守護の神よ」と面白おかしく歌って(歌詞はサイトにより多少違いあり)踊り歩いたのが関東全域はもとより京都大阪まで有名になり、歌舞伎にもなったとのこと。歌舞伎については最近も上演例があるようで。

神代文字の碑文はずいぶん古い時代に埋もれたらしいということしかわからない。
江戸時代後半だともう少しましな古典的な文語体で書くようになると思うのでそれよりは古いかも知れない。また半田稲荷が有名になった後に作られたなら、病気封じに関する内容になったのではないかな。

歌の前に「カミウタ」とあり、歌の後に「ア」とある。このアは吾郷清彦は「ウ」だというが所見ではケンペルマンの「ア」とする説で問題ない。「嗚呼」の意味だろう。もしくは「アア」、「アハレ」など続きがあったものが当時すでに碑文は割れて断片になっていたか。

初句は「かみはゆく」。この「かみ」は年長者・上位者・主人・天皇などをもさしうるので、強いて神社の神とばかりも決められないが仮に「神」とすると、「神は往く」は「神が去った」の意味だとすると不幸を暗示しうる。が、どちらというと雪の語源が神の御幸(みゆき)であるように神の臨在をいっているのだろう(祭日での神輿の往来とか)。あるいは二句三句の解釈によっては「神速く」の訛りという線もありうるか? 年長者・上位者・主人・天皇などを「かみ」ということもあるので、あるいは未亡人が夫の死去に際して詠んだ歌かも知れず、あるいは誰かが天皇崩御の際(時代の変わり目)に人生を振り返った歌かも知れない。
二句三句が問題の未解明部分。P=ケンペルマンは「としきはとまね かねこなる」、吾郷清彦は「ひきこはひまひ かひやふる」と読んだが、この二つの旧説ではどちらも意味不明。
四句と五句が「真澄鏡(ますみのかがみ)面変(おもか)はりてや」(訳:鏡をみると(歳をとって)顔が変わったなぁ)。真澄鏡は定型的な言い回しで、この場合は神社の古式の鏡を念頭におきつつ(御神体とかでなく)鏡の映り具合をほめているだけで、訳文の上ではあれこれ言わず単に「鏡」とするのがいいと思う。

なので未解明の二句三句はその文中にあって歌としての文意がつながらねばならない。全体としては、何か目出たいことか不幸なことがあり、年月を感じるという意味の歌らしい。

二つの旧説の解読文はどちらも意味不明だが、文法を無視して強いて意味を想像すると、ある程度の意味を想定はできる。

ケンペルマン説の「としきはとまね かねこなる」は「年来は(年際? 年月は?)止まね、予事成る」だろうか。予事(かねごと)は予想されたことという意味の古語、「かねこ」は少々ムリがあるが「かねごと」の縮約語とすると、「年月の流れは止まない、予想された通りになった」の意味か。和歌として成り立たなくはないが、老化を嘆くだけの暗い歌で、神社の碑文としては少し陰鬱すぎないか? 
何かもっと目出たいことを祈願したものと考えた方がありそうに思う。

吾郷説の「ひきこはひまひ かひやふる」はさらに解釈が困難。とはいえ吾郷は文字の音価を定め直そうとしただけなので文意は考えてないのは当然だが、そこをムリして解読を試みる。ひまごを「ひこ」ともいうので「曾孫たち」の意味で「ひここ」、または「曾孫である子」の意味で「ひここ」といったもの、その「ひここ」が訛って「ひきこ」? 「はひまひ」は「這ひ迷ひ」(這い回り逃げ惑う)、「祝ひ舞ひ」(お祝いに舞い踊る)とまったく逆の二つの解釈ができる。「かひやふる」はさらにわからない。彼火矢降る(あの火矢が降って来た)、甲斐や溢る(生きた甲斐が溢れるほどあった)、貝や炙る(貝を焼いている)、穀破る(脱穀する)、甲斐屋振る(甲州屋が繁盛してる)等、こじつけはできるが、どれもややムリヤリな感じ。曾孫が出てくる第二句は年月の流れを連想させる下の句とよくつながるのだが、全体的にスッキリ繋がらない、とくに第三句が酷い。

3行目の解読で1文字目と5文字めは一見してまったくちがう文字であるにもかかわらず、どちらもケンペルマンは「と」、吾郷は「ひ」と読んでる。7文字目と9文字目は同じ文字であり、ケンペルマンは「ね」、吾郷は「ひ」と読んでる。5文字目と7・9文字目はまったく違う文字であり、すべて「ひ」と読む吾郷説はいただけない。「ひ」「と」「ね」の3文字を比べると、すべてぐにゃぐにゃの線で区別がつかないように思うかも知れないが、いくつかの書体例から草書に崩れる前の原形を推定すると、案外にシンプルな「決め手」がそれぞれ決まっているのが判明する場合がある。「ね」は上の横棒の右端から下に線が下がった形(「フ」の「ノ」が真っすぐになった形)であり、「と」は「ヘ」のような平らに近い形である。「ひ」は平らににゅろにょろな文字だが決め手がわからない。
5文字目は「ひ」よりもはっきり「と」に似ているのでケンペルマンの説に従いたいが、7・9文字目は「ね」ではない。「ひ」は輪を上に結ぶ文字でもしその向きが決め手ならこの下側に結ぶ文字は「ひ」ではなくなるが、最後の左端から下方内側へ向かう撥ねが決め手ならば「ひ」に近いように思うので吾郷説を採る。問題の1文字目は「ひ」でも「と」でも「ね」でもなく、悩むところだが「ふ」だろうな。「ふ」も「ひ」と同じく、ただ横ににょろにょろしてるだけの文字だが「m」のように山二つの高さが揃うのが決め手らしい。

吾郷は2文字目を「き」、3文字目を「こ」とするが、ケンペルマンは3文字目を「き」、10文字目を「こ」とする。ケンペルマンは2文字目を「し」、吾郷は10文字目を「や」とする。「し」「き」「こ」「や」はどれも「フ」をぐにゃぐにゃに書いたように見えるが、全体的に「こ」は「く」の逆向き、「し」は「Z」、「き」は「7」のような印象になり、「や」は線の中程で右側に瘤のように張り出るのが決め手。
2文字目と10文字目はケンペルマン説でよいが、3文字目は「き」でも「こ」でもなく「や」だろうな。

11文字目はケンペルマンは「な」、吾郷は「ふ」とする。「な」の決め手は原形が「L」。
確かにこの書体では「ふ」の決め手も重合しているのだが、もし「ふ」だとすると、まったく違う文字にみえる1文字目に該当する文字がなくなってしまい読めなくなってしまうので「な」を採る。

3行目はP=ケンペルマンは「としきはとまね かねこなる」、吾郷清彦は「ひきこはひまひ かひやふる」と読んだが、以上の検討結果、第三案として「ふしやはとまひ かひこなる」と読んでみる。

新案の「ふしやはとまひ かひこなる」はとりあえず「富士や鳩舞ひ、蚕なる」と思いつくが、これでは旧案同様、意味をなさない。あれこれ考え、「伏屋は富まひ」と解いてみた。
「ふしや」は「伏せ屋」(みすぼらしい家という意味の古語)の訛りではないかな。「とまひ」は「とまふ」。「富む」に成し遂げることを表わす助動詞「あふ」がついた「富みあふ」の縮約語。「ついに豊かな家になった」の意味。もしくは「富む」に状態が継続することを表わす「ふ」がついた「富まふ」。「豊かな家になっている」の意味。
そうすると第三句は「蚕なる」でも意味は通り、むしろ語感はその方が自然だが、少し面白味に欠けるので、別の解釈も試みる。「ひこ」は「曾孫」、「なる」は「生る」(うまれる)。今でも子ができることを「子をなす」という。「か(彼)〜」は少々わかりにくいが「あっちにいる我が子には〜」もしくは「あの子の〜」というニュアンスの接頭語。
結論、「みすぼらしかった我が家も豊かになり、もうすぐ曾孫も生まれる」の意味。完璧にスカッとはいかないがどうだろうかな?

全文新訳試案
「カミウタ カミはゆく フシヤはとまひ かヒコなる マスミのかかみ オモかはりてや あ」
「御神歌 主は逝く 伏屋は富まひ か曾孫なる 真澄鏡 面変はりてや 嗚呼」

(この社の神に捧げる歌
 「歳の離れた夫が逝き ふりかえれば
夫とともに暮らしたみすぼらしかった我が家は今では豊かになっており
あそこにいる我が孫にもうすぐ曾孫も生まれる
鏡をみれば自分の顔も歳とともに変わってしまったものだなぁ」
あーあ[こんな歌を詠んでしまったよ、という詠嘆w])
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【告知文】05/31(日)春の遠足3・飯島愛追悼企画「ウチくる!?」形式で弁天様に捧げる幻の漫画「飯島愛私の初体験」と神代文字の石碑より転載

飯島愛がレギュラー出演していた懐かしの番組「ウチくる!?」と同じ形式で、Fridaさんの住む町をFridaさん自身が案内してくれる遠足です。下記のプログラムの合間ごとにFridaさんによるいろいろな面白い地元案内がアドリブで入ります。

1)柴又寅さん記念館
柴又駅の駅前にあります。ここで見学しながら、のんびり合流。(参加者が集まるのを待ちながら見学)
朝9時の開館から遅くても12時までにお入り下さい。

2)12時半、軽くお昼をとります。近くに「biscuit」と言う美味しいケーキ屋さんもあり。水元公園での飲み食いがメインなのでここは食べ過ぎないように。

2)午後1時、レンタサイクル。以降のコースは自転車で。
http://www.eco3196.com/rental_tokyo00004.html

3)三社めぐり
・金町の葛西神社→半田稲荷神社→東水元の香取神社
祭り囃子発祥の地とされる由緒ある古社で今も盛んに信仰されている芸能の神様弁天様に、飯島愛の冥福をあらためてお祈りします。江戸時代以来疫病封じで名高い神社には、インフルエンザの危ない時期だからこそ念入りにお参り。境内の碑文は1877年に来日した考古学者ケンペルマンによってドイツの雑誌に紹介され阿比留草文字で「カミウタ カミハユク トシキハトマネ カネコナル マスミノカカミ オモカハリテヤ ア」とありましたが残念ながら十年以上前に破壊されて今はありません。古図録のコピーを配布して昔を偲ぶよすがとする予定。香取神社に着くまでに、いろいろ食べ物買いながら行きます。

4)水元公園
素晴らしい公園でゆっくり散策したり飲み食いしながら飯島愛の思い出を談ります。美味しいケーキ屋さんやアイスクリーム屋さんもあり。話のタネに、現在入手不可能な幻の漫画「飯島愛 私の初体験」を参加者全員に配布。死の真相や業界裏話などはかなり深く調査済みなので、話の流れ次第ではそういう話題も出るでしょうが、あくまで故人を悼み、その功績に感謝を捧げ、冥福を祈るのが主旨です。

2009/05/25

05/24(日)「東」から見直す幕末・明治維新〜幕末東軍派連続企画最終回(総集編)〜

「東」から見直す幕末・明治維新(「幕末動乱・明治維新を問い直す座談会」改題)〜幕末東軍派連続企画最終回(総集編)〜

【レポ】
 遅くなりましたが、去る5月24日に催しました『「東」から見直す幕末・明治維新』のご報告を申し上げます。この催しは昨年より全六回・半年間に渡って開催してきた「幕末東軍派連続企画」の総集編であり、各回で活躍した論客の皆様にお集まりいただきました。
 まず開会にあたり、国旗に向かい国歌を斉唱いたしました。このことは単に国民儀礼を果たしただけでなく、催しの趣旨が反国家的なものではないことを明らかにし、皇室と日本を考える意識を高める上で意義深かったと思います。続いて主催責任者の僕の方から一言ご挨拶申し上げ、論客の皆様に自己紹介をしていただき、議事へと移りました。議事進行は、熊谷顕浩氏に担当していただきました。
 最初の提起(①)は「水戸学における尊王攘夷」と題しまして、小生がお話しさせていただきました。内容としては、水戸藩は御三家の一つですから当然と言えば当然ですが、水戸学が「倒幕」或いは「王政復古」の思想ではないということを、天狗党の鎮派(穏健派)と激派(過激派)の双方の立場から論証しました。そして「水戸学における尊王攘夷」とは、東照宮の末裔である征夷大将軍を戴く幕府が、天下の諸侯に号令して実行するものであり、いはゆる「志士」のような人たちが好き勝手にやるものではないことを述べさせていただきました。
 続いての議事ではまず、それならば何故、明治国家が水戸学に基づくものであるという考えがこれだけ一般に流布しているのか、それだけでは説明がつかないのではないか、錯誤はどこで生じたのか、との疑義がありました。それに対して、明治以降の国民教育における歴史観を含めた明治政府の自己宣伝の影響があるのではないか。水戸学に「倒幕」的な考えをもった人物が流入してきた事実から、正規の書物には表れていなくてもそのような議論はある程度はなされていた蓋然性が高いのではないか。水戸学が「国体」や「尊王攘夷」という言葉を用意し議論の場を提供したという情況を、水戸学が「明治維新」の思想的な母体であると短絡したのではないか。…などの議論がありました。
 次の提起(②)は、「御公儀の海防と外交政策」と題して、立原慎太郎氏に話をしてもらいました。内容はまず、幕末に至るまでの御公儀(徳川幕府)の外交国防政策をまとめた上で、江川英龍のお台場建設や岩瀬忠震のハリスとの外交交渉を例証に、幕府には充分に外交担当能力が備わっていたことをご説明いただきました。また、長州藩の暴発である下関戦争などの事例から過激な攘夷がまったく不可能であったこと、「佐幕」は「尊王」と相対立するものではなく、むしろ「非義勅命ハ勅命ニ有ラス」と述べた大久保利通はじめとした薩長側こそが偽りの「尊王攘夷」であったこと、用心していた幕府の政策を薩長倒幕勢力がぐちゃぐちゃにしてしまったことが大東亜戦争における「大攘夷」の失敗にも繋がっていること、などのご指摘がありました。最後にまとめとして、御公儀が、どんな国家にとっても測り知れない価値を持つもの―平和、統一感、象徴に対する献身―を涵養してきたことをご紹介いただきました。
 それを受けての議事ではまず、長州は、朝鮮と密貿易をやっていたという話があり、開国すれば儲かるということを分かっていたはずなのに、なぜ過激な攘夷という方向に行ったのかという疑義がありました。それに対して、こう思ったら動かねばならないという間違った陽明学精神の気風があったのではないか。長州は、尊王イデオロギーに乗っかって幕府を倒して自分たちの差配する政権を作りたかったわけで、それに一番都合がよかったのが「攘夷」だったのではないか。掛け声としての「攘夷」を唱えているうちに引っ込みがつかなくなったのではないか。長州をはじめとした維新の志士たちは日本国をどうしようという発想がなく、とりあえず政権奪取をしたかったのだろう。幕府が、それなりにしっかりとした政権運営を続けているにもかかわらず、「倒幕」という行動に出たのは、それこそ売国奴というべきではないか。…などの議論がありました。
 さらに提起③「新選組の尽忠報国-それぞれの形」(松井不二夫氏)提起④「小栗忠順、後の世に遺すもの」(丸嶋輝氏)提起⑤「奥羽越列藩同盟の血脈」(大場一央氏)と非常に興味深い発表と討議がありました。以上、ご報告とさせていただきます。(文責:しか)

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【告知】
(※この告知文はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbs/158より転載。該当掲示板のログは順次自動消去されるため参考資料としてここに保存す)

05/24【雑司が谷】 「東」から見直す幕末・明治維新 投稿者:お知らせ 投稿日:2009年 4月29日(水)14時08分28秒

幕末・明治維新は、高度に近代化されつつあった欧米列強に対応するために国家体制を再編成した、言うなれば現代日本にとっての神話時代です。しかしそこで語られる物語は、あまりにも「倒幕」という薩摩や長州を中心とした一党派の主義主張に拠りすぎているのではないでしょうか。勿論新選組の生き様や会津藩の悲劇がとりあげられる機会も多々ありますが、それは所詮は敗者であることを前提としたサブ・ストーリーとしてしか扱われていないように思われてなりません。
 そこで今回私どもは、薩摩や長州ではなく、朝廷や新政府でもなく、「東」すなわち徳川幕府やその遺臣たち、あるいは水戸天狗党や新選組や奥羽越列藩同盟の立場から幕末・明治維新を見直すべく座談会を催すことにいたしました。各位の連座をお待ちしております。(主催責任者、石川太郎)

■催し:「東」から見直す幕末・明治維新

■日時:万延150年5月24日(日)午後1時半開場、午後2時開会
  ※途中入場・途中退席可
  ※午後8時頃閉会予定

■会場:雑司が谷地域文化創造館1階、第二・第三会議室
  ※http://www.toshima-mirai.jp/center/e_zousi/index.html
  ※東京都豊島区雑司が谷3-1-7 千登世橋教育文化センター内
  ※東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」2番出口先
  ※JR山手線「目白駅」より徒歩十五分弱

■主な論客:熊谷顕浩、大場一央、松井不二夫、丸嶋輝、立原慎太郎ほか
  ※一般参加者の議論への飛び入りも歓迎いたします。

■参加料:なし
  ※ご協賛は有り難く頂戴いたします。

「皇室と日本を考える」
http://nhlar.blogspot.com/

2009/05/17

平成21年度夏期の活動履歴

(※各項の詳細はそれぞれのリンク先を参照)

五月期(05/01-05/27)
05/01(金)春の遠足1・日暮里舎人ライナー搭乗オフ(&舎人公園青空飲み会)
05/02(土)こどもミュージカル「ふしぎの森へ…」観賞会◎
05/04(祝)奥羽越列藩同盟、斯く戦えり〜幕末東軍派連続企画第六回〜
05/06(休)春の遠足2・薄幸の美少女「てこな伝説」をめぐる古代史ロマンの旅
05/08(金)大場先生『大學』講義4(19:55-21:25 早大戸山キャンパス32-127教室)
05/15(金)国宝阿修羅像展見学&炉端焼オフ
05/16(土)古神道行法実習研究in銀座
05/22(金)大場先生『大學』講義6(19:55-21:25 早大戸山キャンパス32-127教室)
05/23(土)神道入門第2回◇
05/24(日)
雑司ヶ谷・「東」から見直す幕末・明治維新(「幕末動乱・明治維新を問い直す座談会」改題)〜幕末東軍派連続企画最終回(総集編)〜
京都・「御寺・泉涌寺と泉山御陵」参拝と現地学習

六月期(05/28-06/23)
05/30(土)眞心の學問會◎(18:30- スマイル中野3F会議室)
05/31(日) 春の遠足3・飯島愛追悼企画「ウチくる!?」形式で弁天様に捧げる幻の漫画「飯島愛私の初体験」と神代文字の石碑
06/05(金)和歌朗詠ライブ◎(6:30開場/阿佐ヶ谷ヴィオロン)
06/07(日)突発お花見紫陽花オフ(13:00〜/隅田川公園)
06/08(月)無料突発京劇観賞
06/14(日)東アジアの人権状況に私たちはどう向き合うべきか
06/20(土)日本マンガ学会第9回大会
06/21(日)
昼・日本マンガ学会第9回大会
夜・素読の会(18:00-21:00 銀座区民館1F和室)
06/22(月)ロシア革命アニメーション1924-1979/ロシア・アヴァンギャルドからプロパガンダへ観賞△(※イベント自体は06/06(土)から07/03(金)まで開催)
06/23(火)ロシア・ソビエト映画史縦断1908-1939△(※7/11までのイベント初日)

七月期(06/24-07/21)
06/24(水)25(木)ロシア・ソビエト映画史縦断1908-1939△(※期間中は6月23,24,25,30日、7月1,4,9日に参加)
06/26(金)大場先生『大學』講義(19:55-21:25 早大戸山キャンパス32-127教室)
06/27(土)
昼・日比谷神社参詣と「大祓」講談
夜・神道入門第3回◇
06/28(日)
東京
 昼・伊勢神宮創設の年代
 夜・映画「非女子図鑑」観賞
大阪
 大御心─御歴代の詔勅・宸記より
06/29(月)迫り来る国家解体の危機!〜外国人参政権と人権擁護法案と(国籍法改悪と1000万人移民推進問題)の恐怖!〜◆(※開場17:30開演18:00・会場/早大大隈大講堂・講師/百地章)
06/30(火)07/01(水)ロシア・ソビエト映画史縦断1908-1939
07/02(木)突発飲み会in六本木
07/04(土)
夕・ロシア・ソビエト映画史縦断1908-1939
夜・眞心の學問會◎(18:30- スマイル中野3F会議室)
07/09(木)ロシア・ソビエト映画史縦断1908-1939△(※イベント自体は7/11まで開催。期間中は6月23,24,25,30日、7月1,4,9日に参加)
07/11(土)突発オフ・昼間から秋葉原で飲み歩き、都議選前だよ全員集合(※14:30~)
07/14(火)突発オフ・夜のみたままつりで盆踊り&飲み会△(※20:40~、靖国神社)
07/16(木)核攻撃に備える歴史認識講座「毛沢東思想と日清・日露・大東亜戦争」
07/18(土)「聖書考古学資料館」見学会※PM2:30からPM3:00までの間にマクドナルド駿河台支店(JR御茶ノ水駅から明治大学方向。地下鉄新御茶ノ水駅に通じるサンクレール支店ではないので注意)で待ち合わせ。同じビルの2Fが聖書考古学資料館で1Fがマクドナルド。
07/20(祝)古事記を読む会(仁徳天皇段)

☆印は「皇統の未来を守るオフ」主催
◎印は「伝承文化研究所」主催
◇印は「古伝承研究会」「マズダヤスナの会」共催
△印は既存の一般公開イベントへの参加を部分的に組み込んだ企画

※これ以前の活動記録は ⇒こちら
※これ以降の活動記録は ⇒こちら

2009/02/20

古神道行法実習研究

【告知文】05/16(土)古神道行法実習研究in銀座より転載
場所■銀座区民館 和室
時間■18:00開始21:00終了
(※実習ですので、途中入場の人への対応が難しい場合があります。遅刻厳禁でお願いします。終了後の懇親会からの参加はアリです)

今回の会場は広めの和室なので、ただの講釈をきく会ではなく、なにか実演・実習的なものを、ということで、古神道の行法を体験してみます。
世間では、こういうの何万円も取って教えてる先生が何人もいるらしいですが、うちはタダです。
もっとも、教えるというよりは一緒に考えながらやってみる、という方向ですが。

神伝禊法・水滌祓厳法・息吹永世・真澄気吹・天津微手振・布瑠部鎮魂・関口流大祓行・田中流鎮魂法・本田流鎮魂法などから、璽霊祀(自霊拝)・太陽礼拝・国民儀礼・手かざし療法・遠当ての術に至るまで(あげくのはては薔薇十字にカバラなども?)、ふんだんに取り揃えておりますが、時間の都合で全部はできません。
何を取り上げるかは実際に集まったきた人々の顔ぶれによって決めたいと思います。

※時間的または施設的または霊的な制約により、本格的に体験できるものと模擬的・擬似的にしかできないものとがあり得ます。
※当日は内容が大幅に変更になる可能性があります(例えば、参加者の希望によっては鬱対策に特化した内容になったり、顔ぶれによっては「いんちき古神道業界裏話」に当日のテーマが変更されたり、霊的な事情によっては、ひたすら瞑想する会になったり、ただの雑談会になったり等)
※霊的な都合により、霊的にやばそうな人は入場を拒否させていただく場合がございます。予め霊的に御了承下さい。

2009/02/19

平成21年度前期の履歴

(※各項の詳細はそれぞれのリンク先を参照)
(※平成21年度は1月12日からとします)

一月期(01/12-02/07)
01/18(日)幕末動乱の不義を正す!大座談会〜「会津から見る明治維新」改題「幕末東軍派シンポ」第二回準備会〜
(13時開場13:30開会/豊島区勤労福祉会館3F第三和室)
01/21(水)岸沼秀樹先生にお伺いを立てる会
(13:00/新宿紀伊国屋書店エレベータ前で待ち合わせ)
01/22(木)突発ポトフ鍋パーティーin田町(21:30上野)
01/23(金)蓑田狂気先生にお伺いを立てる会(19時/四谷三丁目)
01/24(土)
朝・南モンゴル「クリルタイ」応援街宣活動(両国)
昼・亀戸三社参詣(亀戸天神「鷽替神事」・天祖神社・香取神社)
夜・南モンゴルパンフ作り&牛豆腐大根鍋&蓮根焼パーティーin田町
01/25(日)
昼・炭素14による年代遡上論(13:30-16:30/春日)
夕・宮中歌会始和歌鑑賞会懇親会(三軒茶屋)
夜・突発雑談会in池袋
01/24(土)-02/06(金)フェリーニ映画祭(毎日各時間帯/吉祥寺)
02/04(水)早乙女貢お別れ会(18:00-/有楽町「東京会館」9Fローズルーム)
02/06(金)突発オフ(ベーコン白菜鍋&チキンカレー)in田町
02/07(土)「素読の会」発足準備会議(最終決定回)

二月期(02/08-03/07)
02/08(日)
昼・暴落する米国!蠢動する中国北朝鮮!新帝国主義時代の活路は新征韓論か?
夜・突発オフ(ベーコンキャベツ鍋)in田町
02/10(火)申し込み締切(02/22のイベント)
02/11(祝)
東京・紀元節奉祝式典二十五回(※今回のみ当ブログ管理人は不参加)
大坂・皇統の未来を守るオフ@阿部野
02/14(土)インド映画上映会▲(※今回のみ当ブログ管理人は不参加)
02/15(日)観梅会▼(午前9時半に半蔵門線池尻大橋駅改札 ※今回のみ当ブログ管理人は不参加)
02/21(土)素読の会(18-21時/銀座区民館)
02/22(日)外国人研究者が語るお伊勢さん
02/23(月)平日に意味もなく日本橋で飲む会
(※当日の朝9時までに携帯電話か携帯メールで管理人まで参加表明して下さい。事前の参加表明あれば途中参加は何時からでもOK)
02/25(水)ゼロ年代批評night
03/01(日)【多摩】新選組紀行(「幕末東軍派シンポ準備会第三回」改題「幕末東軍派連続企画第三回」)
03/07(土)横浜開港記念わんこそばオフ

三月期(03/08-04/03)
03/08(日)関曠野講演会
03/14(土)
昼・湘南葉山巡礼〜聖なる土地で語りあう「皇室と日本と私」〜
夜・池袋インド映画上映会
03/20(祭)幕末朝廷史序説
03/22(日)
昼・邪馬台国の遺跡
夜・おでんを食べる会(17:00上野の忍ばずの池で集合)
03/28(土)
昼・北朝鮮によるすべての拉致被害者を救済するぞ!!人権問題を考える神奈川県民集会
夕・素読の会(03/23更新)(18-21時/銀座区民館)
03/29(日)【雑司ヶ谷】水戸思想とその土壌としての水戸藩〜幕末東軍派連続企画第四回〜

四月期(04/04-04/30)
04/05(日)メンコ屋六文堂(&第1回お花見)inじんだいフェスタ2009
(※お昼頃から仲間内で三々五々集まってお花見します。イベント自体は04(土)も開催)
04/11(土)第2回お花見(芝公園・正午より)
04/12(日)革命か反革命か、いま西郷隆盛を論じる
04/17(金)大場先生『大學』講義2
(19:55-21:25 早大戸山キャンパス32-127教室)
04/18(土)「和歌を詠む会」(靖国神社/13:00〜 境内をぶらぶらしながら様々なテーマで議論します。その間に和歌を作ります)
靖国神社献詠歌応募作品・お題「顔」
04/19(日)素読の会(04/10更新)(18-21時/銀座区民館)
04/25(土)神道入門第1回◇
04/26(日)【本駒込】落日の徳川幕臣列伝〜幕末東軍派連続企画第五回〜
04/29(祝)
関東・伝説の大師匠・岸沼秀樹先生にお伺いを立てる会
関西・皇統の未来を守るオフ@四條畷
04/30(木)突発湯豆腐オフin田町

☆印は「皇統の未来を守るオフ」主催
★印は「青狼会」主催もしくはその関係
◎印は「伝承文化研究所」主催
◇印は「古伝承研究会」「マズダヤスナの会」共催
△印は既存の一般イベントへの参加
▲印は関根玲氏個人主催
▼印は牟田氏個人主催

※これ以前の活動記録は ⇒こちら
※これ以後の活動記録は ⇒こちら

2009/02/12

二社寒中禊比較見学

H20,H21,H22の3年連続

H20)08/01/12-13
H21)09/01/10-11
H22)10/01/09-10
(※ただしH20年度だけは「第3期」内部のイベントであり「おまけ企画」ではない)

神田明神寒中禊
鉄砲洲稲荷神社寒中水浴大会

「てこな伝説」の旅

【告知文】05/06(休)春の遠足2・薄幸の美少女「てこな伝説」をめぐる古代ロマンの旅より転載

「てこな伝説」は千葉県市川市に伝わる伝説で、その物語は、愛情の板挟みになったアイドル的女性が自害する(または殺される、月の世界や天上に帰る等)という物語類型の一つです。この類型は「てこな伝説」を含めてそれ以外にも『万葉集』に数話が載っており、登場人名を変え各地方ごとのバリエーションを生んで広く展開したものです。日本初の創作小説かぐや姫の元ネタであることはもちろん、現代の芸能人をめぐる事件でもこの「神話的原型」は繰り返し現われるもので、現代人にも感情的に惹き付けられるものがあり、その思想的意味は興味のつきないものがあります。
また近隣には古代史に関する見どころも豊富。当日は特製レジュメを配布予定。

時間■朝10時集合。ただし携帯電話など連絡手段を確保している場合は途中合流も可。

場所■メディアパーク3階「市川市文学プラザ」(JR本八幡駅から15分・都営新宿線本八幡駅から17分・京成八幡駅から20分/市川市鬼高1-1-4電話047-320-3354)

■当日の行動予定
1)まず上記の集合場所を会場として開催中の「てこな−その姿をもとめて」を見学。
2)次にてこな伝説の伝承地の由来物件を見て歩きます。京成八幡駅から国府台駅にいきそこから徒歩で
・手児奈霊堂
・真間の継橋
・浮嶋弁財天の名妓の碑
・亀井院の真間の井戸
・真間山弘法寺(手児奈の菩提寺)
をめぐります(ただし最後の弘法寺は離れ過ぎているため省略の可能性大)
3)時間の余り具合によって下記のコースAかコースBを選択します。
案A(バスで行くコース):いったん国府台駅に戻りバスに乗って「小学校前」で降りそこから徒歩で「堀之内貝塚公園考古博物館」を見学します。
案B(徒歩で行くコース):参加者の希望により、郭沫若記念館・下総国分寺・下総国分尼寺跡・里見公園(国府台城跡・里見の姫・明石古墳石棺)・総見寺(江戸時代曹洞宗総管)・じゅん菜池公園・小塚山公園(古墳)など近隣の史跡名所から2つか3つ選択して(全部はムリ)、道すがら見学しながら徒歩で「堀之内貝塚公園考古博物館」をめざします。

H20年度歳末の活動履歴

平成20年度【王月期】(H20/12/15-H21/01/11)
12/19(金)天皇陛下御即位20年奉祝中央式典
12/21(日)
東京・忘年会
大阪・反正天皇御陵護持清掃活動&ポスティングオフIN堺東
12/23(祝)埼玉「鷲宮神社」参拝
01/02(金)
朝・落語観賞(朝9時集合/新宿末広亭)
昼・浜離宮恩賜庭園・正月特別開園
(14:00現地/放鷹術ほか伝統文化の実演や展示)
夜・牛鍋パーティーin田町
01/03(土)
朝・初詣参拝(朝9時/靖国神社)
夕・人斬神威先生にお伺いを立てる会
(17:30品川駅で待ち合わせ)
01/04(日)新春愛國百人一首かるた大會
01/10(土)寒中禊見学(神田明神篇)
01/11(日)
東京
朝・寒中禊見学(鉄砲洲稲荷篇)
昼・菌類のふしぎ展見学
(12時半/上野公園入口の右「グリーンサロン」で待ち合わせ)
大阪
昭和天皇二十年祭「昭和天皇をしのびまつる午後」

☆印は「皇統の未来を守るオフ」主催
◎印は「伝承文化研究所」主催
△印は関根玲氏個人主催

※これ以前の活動記録は ⇒こちら
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(※平成20年度はH21年01月11日までとします)